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EXIT

火曜日, 3月 11, 2014

日付変わり今日は3.11、、、三年前、その当時を思い出してみます。



週末都内はほとんどのパーティーは中止になりました。




そんな中、神戸ではFPM田中さんが出演するパーティーで阪神淡路大震災の被災地という事もあり勇気ある決断でチャリティイベントとして開催し
僕の記憶が正しければ30万を超える寄付金を集めたとの事でした。



明けた月曜日にWOMBでのレギュラーパーティーTECHVANEはスイスからゲスト招聘し周年パーティを控えていました

困惑しつつ都内のクラブスタッフ、オーガナイザーと連絡を取り今後どうするかを話し合ったのですが、、

色々な意見は飛び交うものの、皆初めての大震災体験にあたふたし、

ネガティブな意見が多数でした。




そもそもパーティーとは楽しむもの、、

だけど楽しんでいられる状況ではなかった。



自分の宮城の親戚や友人DJの実家気仙沼の音信不通。


停電も大きかった。電気が足りなくて死者が出たとか出ないとか、そんな中夜中にパーティーやって電力消費するなんてどうかしてると非難もされていた。




前述のFPM田中さんにどうすれば良いか相談の電話をした

話を聞くと神戸で開催した田中さんにすら苦情は来たらしい、

チャリティだし、関西の電力は関東以北には無関係なのにも関わらずだ。




これはもう厳しい、渋谷なんかでパーティしてる事が知れたらもはや戦時中の非国民扱いだ、、

そう誰もが判断しほぼすべてのクラブは営業休止を余儀なくされた



DJですら家の場所によっては渋谷に辿り着けない様な状況でもあった




それから約10日程はテレビもニュースのみ

知る限りのクラブは営業を取り辞めていた




そんな中、僕が現場に復帰したのは3/24木曜のAIRのようだ

SHIN aka Pulswaveのモデル事務所の周年パーティだったが

流石にお祝い的な内容はやれないという事で内容を変更し

確かSATOSHI OTSUKI、WOMBのAKR、YUMMY,等の珍しいラインナップでやった記憶がある。




そしてその週末にエイジア等でチャリティパーティを敢行しイベント業界が復活の狼煙をあげた(と記憶している)
エイジアたまちゃんが苦情とか世間体に悔しがり頑張っていた(叫んでいた?w)記憶がある



そして週が開けた3/28月曜に

宮城県気仙沼出身のオーガナイザーモリモリによるパーティTWOは

気仙沼市役所への寄付金を集めるチャリティーパーティとして今は無きWAREHOUSE702で開催された

スイスから来ていたゲストDJもなんとか参加し

気心の知れたメンバーや太郎くんや担当のベンちゃん含め、何か今まで感じた事の無い一体感の中

素晴らしい一夜を過ごす事が出来た。

仲間と再会し、顔をお互い確認できた、それだけで十分だった。



そこからはどんどんといつもの状況に戻って行った

だけど明らかに外人客は減ったし、日本人の友人も夜遊びをする人は減ったと思う。



その影響は恐らく今なお続いていると思う

外人客が半分を占めていた様なパーティは存続を危ぶまれているし

前述のWAREHOUSE702しかり、数々の優良クラブは閉店を余儀なくされた

それは一概に震災のせいだとは言えないが

少なからず悪い影響はあったと思う



大きな事は言えないし、きちんとした調査も無く軽はずみな事は言えない

だけど身近にある問題として

水や野菜や米や、、すべての食品にまつわる内部被爆の恐怖感

今住んでる場所が安全だとは誰も判断していないものの

生活拠点をすぐに変えれるような人は限られている



だけど今出来る事がここにある

今しか出来ない事がここにある

そう考えている部分が少なからずあるので東京で頑張っている

渋谷で頑張っている



そうして今頑張っている事が成果を結ぶかもしれないし

そううまくは行かないのかもしれない





個人差はあるだろうけれど

5年後10年後、身近な誰かに被爆の影響での副作用は絶対に出てくるだろう

それが自分かもしれない覚悟も、、、



オリンピックが開催される2020年

今の東京のクラブシーンはどうなっているのだろうか?

moduleは生き残っているだろうか?

答えは神のみぞ知る事だろうが、、、



震災直後にDJやパーティーを禁じられていた10日間

本当にしんどかった記憶がある

このまま日本は終わっちゃうんじゃないかとか

更なる地震で東京は沈むんじゃなかろうかとか
(そのような恐怖感は未だにあるのでしょうが)



そう、とにかく今はDJもパーティも自由に出来ている

自由かどうかも風営法の観点から行くと微妙な所では有りますが

そうはいってもDJやりたい人がやりたいと手をあげれば

DJやれるし震災直後の絶望感に比べたらまだまだ頑張れる気がする。



ここ一年だけみても本当に色々大変な事も多いですが

DJやれること、パーティ出来る事、皆と楽しめる事、そんな事への感謝を思い出し



更に仲間達と協力して頑張って行きたいと

そう願う夜でありました。